雑草

石とコンクリートの僅かな隙間に土があるのだろう。そこから小さな草が生えて来た。小さいながらもしっかりと三つ葉になっている。ここは田中屋の一番町側の戸口の前の踏み石である。偉いものだ。毎朝、如雨露で水を撒いていいるから、知らないうちに私が育てたようなものだろう。
雑草とはいえ健気げな姿に採りにくくなった。まぁ行き来に差し支えないどころか、気付く人も居ないくらいだろうから、このままにしておくか。

緑陰

緑陰幽草(りょくいんゆうそう)花時に勝るという言葉を、若い頃見つけて、四十年にもなろうか、今も気に入っている。桜の花が満開になった時のこの世の物とも思えぬ美しさはもちろんのことだが、今の季節、気持ちの良い風に吹かれて、緑を眼にするとき、一人うなずいてしまう。
気候的には爽やかで申し分ないのだが、店屋としてはもっと猥雑でも賑やかであってほしいものだと凡夫は思う。

電線にカラスが

去年はブログにカラスの話が多かったがとIさんに言われた。そうだ。昨年までは店の前の電線に停まるカラスの糞害に悩まされ続けたものだった。それが、昨年末に「カラスのフン害に憤慨する会」のT会長と東北電力に陳情に行ったのだ。さすが東北電力は早急に電線にカラス除けのコイル状のテグスを張ってくれた。お蔭で早朝のフン掃除から解放された。改めて東北電力と関係者に感謝申し上げたい。
喉元過ぎればで、ブログにはカラスは登場しなくなったのだ。
Iさんからもう一つ言われたことがある。去年に比べて更新が長くなったと。これはカラスのせいにはできない。反省。
(画像のこの電線にカラス除けが装着してあるのだが、透明なため良く写らなかった。ご寛恕の程を)

修復

30年以上前の座卓の修理だ。コンパウンド(研磨剤)を塗って艶を出したところである。まずまずいい艶が出た。あまり年数が経つと漆の気(け)が無くなって摺り漆をしても艶が出ない場合もある。ベテランの工房長でもやってみないと分からないケースもあるから修復作業の見積もりは結構厄介なものだ。特にテーブルのような大きな物は運ぶだけで運賃が発生するから、折角送ってもらって出来ませんでしたでは申し訳が無い。このくらい艶が出れば喜んでもらえるだろう。

80歳のグループ展

「からなし・そさえて展」が始まっている。1954年に弘前高校を卒業した画家や詩人たちが集うグループ展である。もう40年になるという。田中屋画廊の最古参の利用者方である。昨年亡くなった福井一さんの絵画を約40点展示している遺作展でもある。皆さま80歳になられたので、今年が最後の開催となる。良く続けてこられたと思う。時は流れる。これで最後となると一抹の寂しさはぬぐえない。(16日まで)

皐月

八重桜も散り始め、向かいの公園のソメイヨシノはすでに葉桜である。岩木山の雪も解け始め、緑の部分が多くなって来た。「われに5月を」は寺山修司だったか。5月というのは12の月の中でも特別の月のように感じられる。緯度の高いイギリスでは6月が輝くような美しい月なのだろうが、日本では梅雨時だ。「さつき」というS音が一層の爽やかさを引き出しているのかもしれない。
美空ひばりの名曲「リンゴ追分」は映画「リンゴ園の少女」の挿入歌で、ここ弘前市が舞台となった。それにちなんだ「全日本リンゴ追分コンクール」も明後日に開催される。20年前程前には今時分、打合せや設営に大童だったものだが、それも、もう25回目になるという。今年は弘前市民会館で13日(土)14時からだ、昔かかわった者としてお知らせを兼ねて、継続してきた関係者、先輩たちに敬意を表したい。

晩春

田中屋本店と津軽塗資料館の間のほんのわずかの隙間から立派な草木が生えて来た。通りかかった人によると棘があるからバラではないかという。植物の生命力に感嘆していた。こんな路地にバラの花が咲きでもしたら、どうしようといらない心配をする。
今日で桜まつりも終わる。ソメイヨシノは葉桜だ。リンゴの花が開花したという。今年はリンゴの花も早く。昨日からりんご公園で「弘前リりんご花まつり」が始まった。津軽の一番いい季節だ。

八重桜

9時頃、店先を掃いていたら、扉から店の中をのぞき込む二人連れがいた。早速に、どうぞどうぞと扉の鍵を開けて招き入れた。10時開店ですが今電気を点けますのでと申し添えて。中高年の男性お二人である。熱心に色々とご覧になっていらした。
そこに年配の男性が入って来て女房に頼まれて箸が欲しいという。奥様の頼みなので粗相は出来ないのであろう。何膳も持ち比べてみて試している。質問に答えながら応対をしていた。件のお二人連れはどうしたかなと思ったら「ありがとうございました」と言って帰られた。
多分お気に入りの物が無くて、私が他の客を応対しているのを幸いと帰ったのだろう。時間外に店を開けさせて手ぶらで帰るのは、客にも店の者にも気まずいことなので、いタイミングだったかもしれない。桜大通りの八重桜が咲いた。

満開

6時前に弘前公園を散策して来た。本丸も西濠も「桜のトンネル」もすっかり満開である。やや散り始めた。満開の桜の下で人は笑顔になるらしい。早朝なので人はまばらだ。話されている言葉が耳に入る。「早起きした甲斐があった」中国語ではない。イントネーションからすると地元の人だ。満開で天気の良い早朝を選んで足を運べる。これは地元の特権だなぁ。
ふと、これを後、何回見れるのだろうと考えてしまった。こんなことを考えてしまう年齢になったのかと、自分で自分に驚く。花は咲き咲きて成就。葉は散り散りて成就。生かされてきたのだからと思うしかない。

世の中に絶えて

もう満開である。田中屋の向かいの桜は早いのだが、さくらまつりが開幕してまだ2日目なのだが。
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
桜が咲いてしまうと、雨が降ったり風が吹くのがどうしても気にかかる。一層桜なんか無ければいいのにという逆説的な業平の名歌なのだが、この季節にはどうしても頭を過ぎる。歌人の純粋な風流心とは違って、凡夫はまつり期間中の人出や売上に思いが行くからなおさらである。