錦塗の箪笥

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4人グループのご婦人方が熱心に資料館のウインドーを見ていた。「簡単にご説明しましょうか?」と尋ねる。OKなので、いつものように津軽塗の出来るまでを見本をたどってレクチャーする。紋紗塗は初めて見るが七子塗は知っているという。中々詳しい。
中の一人が錦塗の箪笥を素晴らしいと言う。この箪笥は私の祖父が戦前に全国漆器展に出品して特賞を取ったが、売れずにそのまま帰って来た物を修復したものだ。普通の錦塗は雲形と紗綾形と唐草模様を描くのだが、祖父のアレンジで牡丹などの花模様が配されている。余り褒められるので、本気で欲しいと言われたらどうしようかと、心配になってきた。売れるのはうれしいが、展示の目玉が無くなるのは資料館としては痛しかゆしである。もうこんなものは出来ないだろうから。

初めての津軽塗

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ファンレターを頂いた。それも東京の若い女性から。残念ながら?私本人にではなく、店に対してである。道に迷って偶然に立ち寄ったのだそうだ。初めて津軽塗を眼にして、中でも七子塗が彼女を心をつかんだらしい。店の者が丁寧に説明したのも好感だったとのこと。七子塗のお盆と銘々皿をお求めになった。2日連続でご来店になり、少しお待たせすることになったので、2階で粗茶を差し上げた。今回は温泉巡りだったようで、深浦や大鰐の温泉が大層お気に召して、次回は両親を連れて来るという。初めて見る方との津軽塗との出会いの瞬間に立ち会えることは、やはり商売冥利であろう。

積雪

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初めて雪が積もった。と言ってもこの程度であるから、まだ序の口である。倅が手伝ってくれるし、祝日の朝8時前なので車も通行もまばらで作業に差しさわりが無い、これなら朝飯前だ。いや朝ご飯はちゃんととったけれど。幸い流雪溝にも少しだが水が入っている。
初日にしてはお手柔らかな方だが、これから冬本番である。

包丁

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1丁の包丁がある。今から34年前に私が田中屋で仕事を始めたときには、この貫録ですでに包み台の上に有った。ということは田中屋においては私のはるかな先輩になる。塗物の大きさに合わせて包装紙を切り分けるのに使われていた。昔、店長の森下が手慣れた手つきで包装紙を切っていたものだ。「登録 兼正」と銘が彫られている。裏には「別上 長沼工場製」とある。この包丁は何千枚の包装紙を切って来たのだろう。店の歴史の証人である。

朗報

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弘前市カラス対策連絡協議会が昨日開かれた。その帰りにTさんがわざわざ報告に来てくれた。東北電力が親方町と元寺町の一部の電線にカラスが停まらないようにテグスを設置してくれるという。それも年内までにという。何という朗報!
これでカラスとの早起き競争からも、カラスの糞の清掃作業からも解放される。道路もきれいに保たれるし、糞を気にして頭上を見上げながら通行することも無くなる。T様東北電力様ありがとうございます。それからブログを見てカラス大変ですねと言ってくれた皆さま、お陰様でした。

挨拶

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先日の初雪の朝、店の前の清掃をしていると、通勤途中のご婦人とすれ違った。顔見知りなので挨拶を交わした。「とうとう来ましたね」と言うと、柳眉を少し険しくして同意した。雪国の住人なら共通に持つ感慨である。
若いころは「今日はいいお天気で」などという大人同士の挨拶に疑問を持ったものだ。当たり前のことじゃないかと。大人の常識に違和感を感じたものだ。あれから幾星霜。挨拶というのは他者同士だからするものだと思うようになった。あの人とは会話を交わせる間柄であるという事実が重要なので、それは繰り返し証明されなければならない。話の内容は二の次なのだ。
縁のある人の病気あるいは逝去を何回も目の当たりにすると「相変わりませず」という言葉は何と良い言葉なんだろうと思うようになった。

初雪

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冷えると思ったら雪が舞っている。店の向かいの植栽にもうっすらと白く積もった。津軽の里にも初雪がやって来た。一昨日が立冬だったので、いつ降っても不思議はないのだが、やはり来るものが来たという気がする。
雪月花というと雅なものだが、雪国の住人にとっては、そうではない。屋根の雪下ろしや車のタイヤの交換などの生活労働の負荷が真っ先にイメージされるので、月や花とは一緒には愛でられにくいのだ。

 

櫛目模様

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津軽塗に使う「刷版」と言おうか、ステンシルが引き出しの奥から見つかった。画像にあるのはその中でも「櫛目模様」と言われる物だ。櫛の歯先に絵具を付けてワイパーのように回転させて描いた線をイメージさせる模様である。
内閣総理大臣賞を受賞した紋紗塗弁当箱に使った物で、何回でも使えるように金属板であつらえたのだが、何かの加減で仕舞い込んでしまったのだろうか。工房長に見せると十分使えるという。少し得した気分である。

早朝の会話

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またもやカラスの襲来である。寒くなって来たせいか飛来も遅くなってきた。それでも今朝2回目は6時である。糞の乾かないうちに水を撒いてブラシでこする。
白の軽トラックが近づいて来て止まった。運転席から年配の人が「病院はどこでしょう?」と聞かれる。「大学病院なら信号を右に曲がって左側です」と答える。弘前大学病院の場所を知らないのだから、県外少なくとも弘前市以外の人だろう。本人は元気そうだし同乗者は居なかったから、お見舞いだろうか。それにしては時間が早過ぎる。家族が入院していて、急に呼ばれたのだろうか。
早朝だから人影は無く私の他に聞ける人は居ない。思いがけず人の役に立ったことは確かだ。

台湾から

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今日は文化の日だが雨である。開店早々、子供連れの若いご夫婦が入って来た。熱心にアクセサリー類をご覧になっている。清算の時にご主人が名刺を出した。青森県の西海岸でホテルを経営している方だった。ここの若女将は台湾出身で、私の甥の嫁さんも台湾の人で友達同士だったのだ。噂は聞いていたが、お会いするのは初めてだった。向こうも一度店を訪ねたかったという。津軽塗が好きでこのペンダントを付けて宣伝してくれるというではないか。若女将は台湾から観光客を誘致して、青森県内ではちょっとした有名人なのだ。昨年末に台湾テレビで田中屋が紹介されたのだが、それに出演したのも見ているという。にわかに援軍が現れた心地がした。