雑草とはいえ

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正面玄関の脇のコンクリートの僅かな隙間から白い花が咲いた。数センチの雑草とはいえ・・・これでは引き抜くのも気が引ける。花が散るまで待つか。目に留める人もいないだろう。いや眼を留めてもらえばそれはそれで風流とはいえるのだが。

青海波

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田中屋店舗の正面入口に青海波(せいがいは)と呼ばれる文様が配置してある。元禄時代から流行ったと言われているが、実はササン朝ペルシャの文様が中国を経由して伝播したと伝えられる。丁度入口の横にあるため、あまり目に付きにく、話題にも上らないようなので、紹介してみた。青々として今の季節にふさわしいような気がしたがどうだろうか。

礼状

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「ありがとうございました とてもきれいになって うれしいです」
丸重箱の修復をして差し上げたところ、郵便局の振込用紙の通信欄にこう書き込まれていた。
昔、先輩に教わったことがある。出欠の返信ハガキを出すときには、幹事や主催者の手数や苦労を慮って欄外にでも「ご苦労様です」とか1行でも書くものだと。
こんなふうに書いてあるととやっぱりうれしいものである。修理を担当した工房長に見せなくては。

喫茶

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珈琲『北奥舎』は今まで無休だったが、休みを設けることになった。休みの時に友人やお得意様が訪ねてきたので、2階でお茶を出してみることにした。茶櫃や茶托や茶筒は売るほどあるし、茶碗や急須も揃っている。ポットを用意して淹れるだけだと思ったら、やれ茶こぼしが必要だし布巾もだと、それから湯冷ましもと、粗茶を差し上げるだけで色んな道具が必要なことに気が付いた。
銘々皿に干菓子を載せて差し出して、何年振りかで煎茶を淹れる。手は休めずにゆったりとした会話を交わす。中々いいものだ。茶事をしている気がする。そういえば『北奥舎』を開く前、26年前には母がこうしてご接待していたのだ。

平松洋子さん来店

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エッセストの平松洋子さんが来店した。青森出身のYさんというライターがお連れしたのだ。カメラマンや県庁の人とご一緒だったから弘前のどこかを取材に来たのに立ち寄ってくれたというところか。
津軽塗資料館では一応津軽塗の出来るまでをレクチャーした。二階で粗茶を差し上げたのだが、そこに展示している「はんぴ樽」は博学な平松さんでもさすがにご存じなかったようで、写真を映したり興味深げに眺めていた。「はんぴ樽」とは祝言に使われる祝樽で、今の丸い樽より前の時代には角樽が使われていたのだ。考えてみれば丸い樽より四角の樽の方が技術的に容易であり、セレモニーの時はなるべく古式ゆかしいものが喜ばれるので、今でも使われるのだろう。写真にあるのは昔の改良版で、中に直接、酒を入れるのではなく一升瓶を2本立てて入れ。赤く装飾された穴から一升瓶が首を出すという構造になっている。後ろにあるのは被せ蓋である。
等々説明をしたら
「勉強になります」と言われた。謙虚な人なんだなぁ。

太宰治のこと

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今日は<太宰治 生誕前日祭 シンポジウムⅡ>が弘前市「太宰学びの家」で開かれた。参加もお手伝いも出来なかったが、以前にそこのホームページの掲示板に載った原稿があったのを思い出した。ご覧になった方も少ないと思うので再掲してみた。

太宰治は恥ずかしい。
特に文学好きということでもないけれども、ほぼ同郷という縁で太宰作品は一応読んだ。ただあれは青春文学という感をぬぐえない。若さとは恥ずかしさだと思う。居ても立っても居られないようなコンプレックスとそれに抗う自尊心がスパイラル状に絞り上げるような思春期の葛藤なくしては生まれえない作品群ではなかったのか。
「選ばれてあることの恍惚と不安の二つ我にあり」ヴェルレーヌの言葉というより太宰の記念碑に刻まれた言葉として有名である。貧富の差が甚だしかった時代に貴族院議員の名家に生まれ、しかし、自分はそれに値する存在なのか、自分は何者なのだろうという、まさに青春の葛藤をそのまま持ち続けていた人ではなかったのか。

十八の時、上京して世田谷の予備校の寮に入ったことがあった。そこで名古屋出身で柴田勝家の子孫だというMと友達になった。戦国時代の話で盛り上がったのが切っ掛けだった。
「田中って津軽出身で色白で上品で、太宰治を思い出す」とMに言われて二の句が継げなかったことがあった。色は白いが別段細面でも端正な顔立ちでもない。上品かどうかは意見の分かれるところだが、シャイで引っ込み思案な少年ではあった。比べられて嬉しかったから今でもその言葉を覚えているのだろうけれど、それに近い量の恥ずかしいという感情を持った。

六十の声をそろそろ聞くようになってから、同人誌の友人に感化されて、初めて短編小説のようなものを書いた。これまで同人誌に所属しながら実話やエッセイ的な雑文しか書いたことは無かった。
中央の出版物には決して載らない、しかし書き残しておかなければ忘れ去られてしまう人や出来事。いやそれは私にとっては決して些事ではないこと、それを書くのが自分の役割だと思っていた。そして小説は読まない、創作はしないと公言していたので明らかな前言訂正である。
子供が骨折した一日の出来事を、いやそのときの私の心の揺れを書いたので、実際に起こったことを小説仕立てにしただけなのだが、意外なことに筆が進んだ。小さな合評会で友人に「いつもよりのびのび書けてる」と言われた。ちなみにこの原稿は北奥氣圏第十一號に掲載されることになった。
登場人物に仮名を付けて小説という額縁に収める。小説という額縁いやジャンルは大概のものは収まるくらい幅広い。納めてしまえば約束事で、これはフィクションであり絵空事なのだ。仮面舞踏会や覆面座談会のような自由さがあるのに気が付いた。
私小説という日本伝統のジャンルも作家たちはフィクションという約束事に解放された振りをしながら、自分の内奥を眼をそらさずに見つめて来たのではないか。そして太宰治はその系譜の中の最高峰であった。
太宰治はもうほとんど読まないが、もし今『人間失格』を読んだなら三日寝込む自信はある。

梅雨

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津軽も梅雨に入った。店の前の路面も雨に濡れている。向かいの公園の樹々も雨に濡れている。出かけるときに雨は鬱陶しいものだが、家の中から眺めると全てを洗い流してくれているようにも思える。車の音は絶えないのだが、一瞬シンとしているような気になる。雨に物思いはふさわしいのだろうか。と殊勝なことを考えながら、次の瞬間は千客万来を願っている自分がいる。

手提げ重箱

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手提げ重箱も珍しくなった。普通の重箱は3段が普通だが、手提げ重箱となるとバランスがいいのか4段が多い。花見弁当箱と並んで日本人の好きな道具の一つだ。この品物は木地から塗から鍛えの入った逸品である。いつもは携帯のカメラからだが、デジカメを買ったので最初に映して見た。

(18×17,5×32,5㎝ ¥378,000)

布着せ

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津軽塗資料館でご夫婦が興味深そうに見ていたので、津軽塗の工程を説明した。画像は角盆の工程サンプルである。「布着せ」という木地の割れや目痩せの防止や補強として麻布や綿布を張る工程を説明をしたら、驚かれた。やっぱり珍しいことだし知られていないことだと、改めて思った。じゃああのくらいの値段でも仕方がないねと言われた。
説明の途中で奥様が近づいてきて私の肩を手で払った。あれっと思ったら肩に蜂が停まっていた。勇敢な女性に助られた。

水瓶

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米櫃に米一杯、水瓶に水一杯という言葉を父が言っていた。安心なこと「あずましいこと」の例えらしい。
そう言えば宮澤賢治の詩に次のような一節ががった。

あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし

準備がキチンとできていることは気持ちのいいことだと改めて思う。